活 動 記 録

「LGBT―セクシャルマイノリティーの人権問題」参加報告

 新日本宗教団体連合会(新宗連)同和推進連絡協議会主催、同和問題にとりくむ大阪宗教者連絡会議(大宗連)、支縁のまちネットワーク、金光ウレシパの会後援による拡大テーマ研修会が、9月18日(火)、立正佼成会大阪普門館にて開催された。講師は、自らもLGBT―セクシャルマイノリティーの当事者である尼僧の柴谷宗叔氏(高野山大学密教文化研究所研究員、巡礼遍路研究会事務局長)が務めた。

 柴谷氏は、話の冒頭で、まずLGBTとセクシャルマイノリティーの説明をされた。L(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)が性的指向の問題であるのに対し、T(トランスセクシャル、あるいはトランスジェンダー)は心の問題である。また、生まれつき男性でも女性でもない人もいることからも分かるように、性的マイノリティーはLGBTだけにとどまらないとも指摘。その上で、性のあり方は社会的・文化的規範によって変わってくるが、それらの様々な性のあり方をすべて認めていくということが、セクシャルマイノリティーの人権擁護にもつながると述べられた。

 そして、柴谷氏は、自らの半生について詳しく紹介された。1954年に生まれた時は医学的には男性であったが、小学校の低学年頃から体と心との性的なギャップに違和感を持ち始めたという。母親のワンピースを着たことが父親に知られ、DVを受けたこともある。その後、大学入学とともに上京したが、授業にもあまり行かず、夜は新宿でアルバイトをしていた。髪は腰まで伸ばし、ユニセックスの服装をしていた。

 卒業後、新聞社に入社したが、そこは男性社会であり、当時の言葉で言えば自分は「女装者」だったと、柴谷氏は述懐する。社員旅行がきっかけとなって、巡礼に関心を持つようになり、四国八十八か所巡りを達成。転機になったのが、1995年1月17日の阪神淡路大震災であった。柴谷氏はたまたま大阪にいたから無事だったが、神戸の自宅は全壊。3カ月後、住宅の瓦礫の下から納経帳(御朱印帳)が出てきた。これが自分の身代わりになってくれたと、弘法大師へのお礼参りを志した。四国遍路は白装束で、男女の区別はない。そんな中、自分が女性として呼びかけられたのが嬉しかったという。

 やがて会社勤めをしながら、高野山大学大学院の社会人コースに通うようになり、その後、早期退職をして、自宅の二重ローンも返却、心機一転、大学院生として研究生活に没頭することにした。ちょうどその頃、性同一性障害特別措置法が制定された。そこで岡山大学病院に通い、2010年に性別適合手術を受けて、その診断書を添えて家庭裁判所に申請し、戸籍を男性から女性に変更することができた。高野山でもカミングアウトしたが、宗務総長の理解もあって、こちらのほうも僧籍簿の性別を変更することができ、尼僧として今日に至っている。

 性的なマイノリティーの人たちが集い、また相談のできる場として、当初寝屋川市に「性善寺」を設立すべく基金を募ってきたが、ご縁があって守口市にある寺院(浄峰寺)を宗教法人ごと譲りうけることができた。LGBTの人は人口の7%だという。これは左利きの人の人口比と同じである。性的マイノリティーの人たちは多くの場合、墓を守る子孫がいない。そのため、永代供養などをするなど、彼らが安心して旅立てる工夫が必要であると、柴谷氏は強調する。宗教(者)の役割は困っている人を救けることであり、自分の活動がこの救済に資することを目指したいと締めくくった。

 当日は、東京や福岡からも含めて28名の参加者があり、用意された会議室の席は満席となった。1時間半の講演後、会場からの質疑応答も活発に行われた。その後、場所を換えての懇親会でも、講師を囲んで談論風発、和やかな会食となった。 (金子 昭)